素晴らしい保育所の話し

子供たちが通った認可保育所〜トイレトレーニングから断乳まで

ワーキングマザー

私には娘と息子の二人の子供がいます。

第一子である娘は高校3年生、第二子である息子は高校1年生。

もうすっかり手が離れ、子育ても楽になってきました。

そんな私が子供たちを保育所に通わせていた頃のことを思い出してみました。

 

私は看護師という仕事をしています。

勤務先の病院には託児所があり、出産後の職場復帰はそれほど難しいものではありませんでした。

託児所は生後3ヶ月から子供を預けることができました。

私も娘が3ヶ月になると託児所に預けて職場に復帰しました。

職場の託児所ということもあり、授乳時間になると仕事を抜けて授乳をすることもできたし、多少具合が悪くても預かってくれる利点はありました。

しかし、私は娘が生後半年になると、近くの認可保育所に預けることにしました。

 

当時私は小さな島に住んでいました。

町の人口は約6000人。

人口が少ない割にUターンして来た若い世代が多く、しかも3人、4人兄弟は当たり前という子沢山の島でした。

特に私の住んでいた地区は子供が多く、入所を希望した保育所も定員120人という島の規模を考えると比較的大きい規模の保育所でした。

0歳児組は入るのが難しいかな?

と思ったのですが、ダメもとで申し込みをしたところ、意外と簡単に入所がすることができました。

 

生後半年、保育所に入所

娘の誕生日は9月。

生後6ヶ月を迎える月がたまたま年度始めだったことも入所しやすかった要因かもしれませんが、ともかく娘の保育所生活が始まりました。

職場の託児所にそのまま預けることもできましたが、託児所からは3歳になると保育所への入所を勧められるため、早いうちに慣れておくためにも保育所へ移ることを選びました。

 

娘の入所した保育所は、町立の認可保育所でした。

0歳児クラスが1クラス、1歳児クラスと2歳児クラスがそれぞれ2クラス、年少から年長までは混合のクラスが2クラスありました。

町内には全部で3つ、娘が入所した保育所と、認定こども園がふたつありました。

その保育所を選んだのは、家から一番近いからと言う理由でしたが、この保育所はとても行き届いた保育をしていて、本当に助かりました。

布おむつ!

まず驚いたのは、入所に際して準備する様に言われたことが、「布おむつ」でした。

布の方がおむつが外れるのが早いと言うのが理由です。

紙おむつを用意する必要もないので、経済的にも安く済みます。

もちろん家では紙おむつを使っていたのですが、登園前に布おむつに替えて登園をさせました。

汚れたおむつも綺麗に洗っておいてくれたので、家での洗濯も簡単でした。

そしてこの保育所のすごいところは、1歳の誕生日を迎えるとすぐにおむつからトレーニングパンツに代え、トイレトレーニングをスタートし、断乳をしてくれたことです。

 

1歳の誕生日を迎えた娘は、保育所の方針でお昼寝の時以外はトレーニングパンツで過ごし、食事も普通の食事を摂るようになりました。

もちろん家では紙おむつを履いていましたが、保育所での生活も影響して、比較的早くおむつが外れました。

また日中にミルクを飲むことも無くなったため、家での断乳もスムーズにできました。

 

私は他の保育所のことをあまり知らなかたので、それを当たり前のように思っていましたが、そこまでしっかりとやってくれる保育所はあまりないと言うことをあとで他の人から聞き、とても驚きました。

働きながら子育てをする母親にとって、1日のほとんどを子供が過ごす保育所が、トイレトレーニングや断乳を勧めてくれたことは、本当に助かりました。

もし自分のペースでやっていたら、ダラダラとオムツも外れず、子供が欲しがればミルクも与えていただろうと思います。

お母さんの味方

その保育所は、本当に「働くお母さんの味方」と言う感じの保育所で、熱が出て連絡が来てもしばらくは様子を見てくれたり、遅くなる日は延長保育を依頼すれば、きちんとした夕食も用意してくれました。

もちろん、主人の協力も必要でしたが、あの保育所のおかげで、本当に育児が楽だったのは確かです。

 

昔から保育所の空き問題はありましたが、近年の「待機児童」問題は、共働き夫婦が増え、保育所が必要な両親が多くなった時代にはより深刻な問題なのだろうと思います。

保育の内容よりも「預けられる」「預けられない」と言うことが一番の問題になってしまうのだろうとも思います。

保育所選びに苦労することなく、しかも素晴らしい方針の保育所に、子供たちを預けることができた私は、なんて幸運だったのだろう。

「親がなくても子は育つ」と言いますが、私の子供たちは「あの保育所があってこそ、今がある」と言っても間違いないでしょう。

私は本当に「ラッキーだった。」と実感しています。

hapoerk:p著